会社概要

屋号
那波紙店 (なばかみてん)
会社名
株式会社 那波伊四郎商店 (なばいしろうしょうてん)
所在地
〒010-0921 秋田県秋田市大町4-3-35
電話番号
0120-23-4311 (Fax 018-863-4441)
e-mail
info@naba-net.co.jp
従業員数
23名 (平成22年12月現在)
資本金
2,000万円 (平成22年12月現在)
創業
明治 11年 (1878年)
キャッチフレーズ
お客様とともに、時代とともに
紙のデパート、那波紙店

那波紙店 周辺マップ

周辺マップ

編集・発行:秋田市教育委員会 製作:秋田活版印刷株式会社 イラスト:小西由紀子

  • ぐるっと文化財マップ 全体図 PDFダウンロード
  • Google Mapで見る

沿革

場所は、旭川より外側の外町(商人街)、茶町梅之丁。

茶町は旧藩時代に、茶、紙、砂糖、日用荒物雑貨などを商う店の営業を許された町であった。
当時をあらわす秋田言葉「茶町とぎくてしな」。
これは「占売り」商品である砂糖を使う菓子がなかったり、甘味が足りないお茶受けしかない時に来客へ「茶町が遠くて」といったことから 生まれた言葉である。

※占売り・・藩の保護の下に商いが認められた専売権。

茶、紙、砂糖のほか、綿並びに真綿、畳類、傘、木綿並びに早道、位牌、扇子、鰹節、苧(からむし)並びに木綿糸類の11種類の専売を認められた。
これらを称して「茶町物」と呼ばれていた。

明治11年 (1878年)
創業。「升伊」の屋号を掲げ、茶と砂糖を販売。
明治19年 (1886年)
五十三町、三千四百七十四軒を瞬時に焼いた“俵屋火事”の際に全焼。
土崎湊の船宿を解体移築する。
屋根の立ち上がりが低く勾配も緩い屋根の造りは、江戸時代末期の表構えを伝えるものとして伝承される。
この頃から、和紙を中心とした商売をする。
明治38年 (1905年)
二代目に継承。
それまで商品が土崎港に運ばれてくるまで待っていたのを、自ら産地へ足を運び仕入れをした。当時は、秋田から横手までの間を鉄道を使い、横手から岩手県の黒沢尻(現、北上市)まで 人力車に揺られ、黒沢尻から東北本線で上京をした。横浜に輸入されてくる洋紙を仕入れ、 東京で見たショーウインドウを初めて市内に持ち込んだ。
明治44年 (1911年)
三代目に継承。
昭和22年頃 (1947年頃)
初代の小さい看板から、現在ある筆文字を彫った「和紙」「洋紙」のケヤキの看板を掲げる。
畳敷きの座売り。商品は見本だけを置いてお客様の注文で蔵から出し、畳の上に広げる売り方。
那波茶紙店という。 未だに和式帳簿を洋式帳簿と併用した、とのこと。

※和式帳簿・・大福帳、当座幅、など。

昭和26年 (1951年)
四代目に継承。株式会社に組織替え。
昭和51年頃 (1976年頃)
畳の座売りから、現在の陳列棚に店の内装が変わる。
昭和58年
日本海中部地震 二つの土蔵の壁が崩れ落ち改修する。
昭和59年
現在の会社事務所を設立。
この頃は、和紙では約三百種類を扱う。
平成3年
先代(四代目)が亡くなる。
「誠実であれ」という先代の教えが聞こえる。

五代目 現社長。